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蕎麦と、自動車と、こんくらい、な関係 [こころのなかの、こんくらい]



子どものころ、ぼくは自動車が大好きだった。

今日は自転車ではなく、自動車です。



2〜3才の頃だったと思う。

ぼくの耳では、
家の前を通り過ぎる自動車のエンジン音が聞き分けられ、
それを親に伝えていた。


トヨペットの音、
ダットサンの音、
オースティンの音、
ルノーの音、
クロガネの音、
オリエントの音。


その音を聞くたびに、うっとりするのだった。

そして自動車に乗ったとたんに鼻腔に押し寄せる室内の匂い、
各部品の仕組み、作動音、
排気ガスの臭いさえ、ぼくには香りだった。


そんなぼくは、小学6年生の卒業作文で

「ぼくはカーデザイナーになる」

と書いた。

そして美術大学を卒業後、一時期イタリアでその仕事をした。




ぼくは、いつもいつも、
頭の中が自動車だらけだった。

自動車ディーラーへ行っては、カタログをもらって集めていた。
寝床の周りにはいつもカタログが散らばっていた。

自動車雑誌を毎月何冊も読んでいた。

床屋には自動車雑誌を持っていった。



自動車免許証をとるまでの、なんと長かったこと。



免許証をとってからは、いったい何台の車に乗っただろう。
(とはいっても、評論家の方々のようにたくさんは乗っていません)

いろいろと乗り較べてゆくと、
たいした自動車でもないはずなのに、なぜか運転していて楽しい、
あるいはこれぞ高性能、という自動車がつまらなかったりすることがある。


つまらなかった車の話しはしないが、
運転して楽しかった自動車の筆頭は
ALFASUD tiという車だった。

Dsc05245.jpg

イタリアに住んでいたころ、
トリノから南フランスを経てバルセロナまで走ったが、
こんなに自由を味わいながら走った記憶は、ない。

オン・ザ・レールといって、
あたかも自動車が「レールの上に乗ってカーブを曲がっている」感覚。

まさにこの車にはあった。

JAGUAR XJ-6 4.2(初期)という車も、オン・ザ・レールだったが、
ALFASUD ti は、ボディが小さく軽量な分、
もっときびきびとしていた。

アクセルを踏むと、踏んだ分だけ加速する。

ブレーキを踏むと、思ったとおりに減速する。


自分の体の一部という感覚が常にあった。


決して高価なわけではなく、
むしろ低価格な大衆スポーツカーだった。


残念ながらこの車は、
使われた鉄鋼材の質が悪く、
すぐに錆が発生するという欠陥があった。

だから、今となってはほとんど世の中には存在していないだろう。

それは残念な話しだけど、でも、
血湧き、肉踊るそのときの感覚は
今もぼくの体の中には残っている。

この感覚、
この、自分にぴったりと吸い付く感覚、
寄り添う感覚。


なにかに似ている。


味だ。


なにかを食べていると、

「これぞ!」

と感じる時がある。

それは素材がどうだ、調理法がこうあらねばならない、
というのを超えている気がする。


どんなに最高の食材を使っても、かならず美味しいわけじゃない。

たいしたことのない食材でも
抜群においしい料理にめぐり会えることがある。

登り詰めたような料理人が作る料理でも、
はてな? と感じることもある。

普通の主婦が作る料理が、なぜか美味しいこともある。


それは、なんなのだ?


それをいつも反芻しながら、そばを打っている。


「こんくらいかな、こんくらいかな」って。