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うつくしいとは、どういうことなのだろう [デザイン]




ぼくは工業デザイナーだったし、

いまでもデザインはできるけど、

デザインするということが、

どういう意味なのかを、

なぜか、このところ、

もう一度考え直している。

考えることから、離れられない。

(黒森庵再開の時期だというのに、ですね)



人は美しいものへのあこがれ、があるのか。

美しい、とはどういうことなのだろう。






デザイン design とは、神のサインを消す、本質を覆い隠す、

de-sign

ではないか、と

昔、デザインをしていて、自虐的に思ったことがある。


だって、中身はほとんどなにも変わらないものを、

「こんなに新しくなりました」

と着せ替えをして消費者をだましているようなもの、

と感じたことがあったからだ。



いまでも

「お化粧=コスメティック」

というようなデザインは多いが、

最近はそれもどんどん薄化粧になり、

スッピンに近くなってきている分野がある。



自転車が、すでに120年前には原型が完成しているように、

100年前の自転車.jpg
1890年製 CLEMENT


いま、一部では工業デザインの完結化が進んでいる感じがする。

機能を、追い込んで、追い込んで、ゆくと、

アスリートたちがみな同じような体型になってゆくように、

一つの「形式」が現れてくるのか。



テレビ(モニター)がそうだ。


一昔前だと、

たくさんの大きな基盤そして画面を映し出すブラウン管などで、

隠そうにも隠せない大きな図体を「なんとか小さく見せるデザイン」とか、

他社との差別化を、とか、

店頭で目立つ色をさがせ(くだらないですが、ほんとうにあった話しです)とか、

それなりに工夫を凝らす部分があった(もちろん、それだけがデザインではありませんが)。



今はすべてプラズマ、液晶などの「薄型」になった。

ほぼすべてのメーカーの製品が「額縁」のデザインを競う時代になった。

額縁のデザイン「しか」できない時代といってもよい。



それが証拠に、

デザインによる、メーカーごとの区別はすでにできなくなりつつある。

デザイナーたちでさえ、どの製品をみても、

直ちにメーカーを言い当てることは難しいだろう。



では、問題です。

以下のテレビは、どこのメーカー製でしょう。

hitachi.jpg
sharp.jpg
sony.jpg
toshiba.jpg



(答えは、HITACHI SHARP SONY TOSHIBAの順です)



テレビがこれからも変化するとすれば、

さらに薄く、さらに軽く、ということになるだろう。

画鋲で留められるテレビになるのかもしれない。



そこにデザインが入り込む余地は極めて少ない。

それは、白いコピー用紙をデザインしてくれ、といっているようなものだ。



ほぼ同じようなことが携帯電話で起きている。

iPhoneに代表される全面タッチパネルは、

手で持つ器機としては当然の帰結ともいえるデザインだ。

iphone_460x305.jpg
Sony_Ericsson-XPERIA_X10-001.jpg

(上がapple iPhone、下はSony Ericsson Xperiaです。)



APPLEは、常にデザインでも消費者に満足を与えてきた数少ないメーカーだと思うが、

それでも、突き詰めてゆくと横並びになってしまう、

そういう時代が、すでに来ている。




次の例などは、一昔前ならば、意匠登録などで訴訟が起きていてもおかしくないだろう。

Apple20iPad1.jpg
001l.jpg

(上はApple iPad 下はToshiba Folio100です)



自転車のフレームが「似ている」からといって訴訟を起こさないのと同じことが、

この世界でも始まっている。



どんどん、突き詰めてゆく。

よけいなものは徹底的に排除する。

取り去っていったとき、なにかが起きるのか。



個性というものが消えだすのだろうか。



それとも、個性がはじめて発揮されるのか。



今のぼくには、まだわからない。



わからないが、デザインという仕事の意味が、

なにか大きく変わりだしているのを感じる。



本質の結晶化が起きだしている。



本物が、輝きだす時代になるのだろうか。



ほんとうのうつくしさ、が、わかるようになるのだろうか。


そうなると、いいなぁ。