So-net無料ブログ作成

女将の、卒業式。 [卒業]


いやぁ、泣いた、泣いた。


ぼくも、子どもたちも、


おんおん、泣いた。



泣いてすっきりしたぞ。



すっきりしたから、

ちょっと冷静になってみよう。


ぼくら家族は、なぜか


「人は死んでも、死なない」


「またぜったいに、会える」


というような確信のようなものが、ある。



でもね、


そんなこといったって、


悲しいことは、悲しいから、


泣いたけど。



それはちょうど、

息子でも娘でもいいけど、

海外に長期留学するため数年間のお別れ、

とか、

親友が海外に永住する、

とかいう感じに、似ているかな。



また会えるんだけど、

でも別離はつらい、そういう感じか。



人の死というのは、

ぼくだって来生があるのか、

天国があるのか地獄があるのか、

はたまたこの世で全てが終わるのか、

そんなこと、わからない。



わからないんだけど、

確信として、

「人は、死んでも魂はそのまま残る」

「人は、死んでもまた会える」

というのがぼくの心の中にはある。



女将の心の中にも、同じものがあった。



だから、死は永遠の別離ではないから、

お通夜もしないよ。

葬式も、執り行わなくたってだいじょうぶ。



最低限、この国の法律に則ったことはしなければならないけど、

それを守ればいいと思っています。



ぼくの父は、やはり癌で亡くなった。

東京の病院から、当時先端医療を行うといわれた群馬県の病院へ転院し、

残念ながら、そこで息を引き取った。


問題はそこからだ。



父は俳優で、当時有名だったから、

どこからかリークがあったのかもしれないが、

東京の自宅に戻ったときはすでに、

道路の両端はマスコミ取材陣で一杯だった。

ぼくらの自動車が到着するや否や、

フラッシュが焚かれ、

記者たちが話しを聞こうと近寄ってきた。



ぼくは当時23歳(くらい?)だったから、

心の準備などまったくできてなく、

おどおどするばかりだった。



そのうち普段はほとんど付き合いのない親戚・友人たちが集まってくるわ、

葬儀社が来るわ、

図々しい記者たちがずかずかと家に上がり込むわ、

ひっきりなしに花屋が来るわ、

我が家でありながら、

プライバシーなどまったくない状況になった。



お通夜になり、

さらに人の数が増え、

寿司などの出前が何回も届き、

酒宴も始まり、

我が家はほとんど居酒屋状況に。



俳優の家に生まれたからそんなの当たり前、

とは、とうてい容認できなかった。



父との別れをしみじみと味わいたいと願うぼくの気持ちは、

あっというまに打ち砕かれた。



結局、ぼくが父と母と三人の時間が持てたのは、深夜になってからだった。



告別式、火葬を経て、

なんとか葬式を終え、

葬儀社への支払いを終え、

ほっと一息をついたときは、父はすでに骨壺の中にいた。



悲しむ暇すらなかった。



だから、それ以来、

ぼくは葬式という儀式そのものに懐疑的だった。



死後の世界にも松竹梅があった。


戒名に価格の上下があった。


お棺も、ピンからキリまで。


祭壇も。


お供物も。


斎場も。


霊柩車も。


火葬場も。


お墓も。



人が死んだ時くらい、平等でいいじゃないか。



もうひとつ。



ぼくは(ぼくら家族は)、


死とは、この世の卒業だと思っているから、


うれしいことなんだ。




だから、昨日はお通夜ではなく、


「卒業式」


を、家族と女将の親友たちとで祝った。



ギターを弾き、女将の好きなBeatles を歌い、

Carole Kingを、ELOを、David Bowieを、Eric Claptonを聴きながら、


ピッツァ、プロシュート、

チーズは、ブリー、ゴルゴンゾーラ、ミモレット・・・、

インドカレー、タンドリーチキン・・・、


卒業式.jpg
飲みに飲み、食べに食べた。



ああ、おいしい、

もぐもぐ、ぱくぱく、

・・・

おい、おいしいぞ、女将!

寝てる場合じゃないぞ、

いっしょに食べようじゃないか、

なぁ、おい!



酔っぱらっちゃったなぁ。


いやぁ、これ、これ、

これだよ、

ぼくの望んでいたことは。



じわりと、楽しく、しっとりと、

女将の卒業を、みんなで祝うことができた。



くーっ、


うれしく、泣けた。




2009/10/18の、黒森庵の張り紙。


09年10月18日.jpg




よくがんばった、女将、


ごくろうさま!



nice!(1) 

nice! 1