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ぼくの、" The Hit Parede "


還暦過ぎるとね、

いろんなことを思い出したりするのです。



あんとき、あすこで、あんなことしてたなぁ、

とか、

あんなことしてたとき流れてた音楽はあんな曲だったなぁ、

とか。



食いしん坊なぼくだけど、

不思議と食べ物でそのときの情景を思い出すことは少なく、

音楽がいつでも昔を思い出す時の鍵だ。



このところ世の中が窮屈で仕方ねぇし、

こころだけでも自由にしていてぇから、

多感なころに聴いてた音楽を思い出してみよう。



NIHABLAR & CEREZO ROSA ORIGINAL


「セレサ・ローサ」っていったかな。

ぼくの最も古い記憶の音楽。

たぶん、2〜3歳のころじゃないだろうか。



よく聴いた。

だから今でもラテンが好きなのかもしれない。

かけ声の「ウッ」というか「ハッ」というのを真似したら、

家族中でウケた記憶が。

そりゃそうだ、幼稚園入る前の子どもがやるんだから。



親父は音痴、それもひどい音痴だった(父は俳優でした)。

だから仕事で歌を歌わなきゃならない役の時は、必死の形相で練習してた。

風呂場でも練習してた。

台詞の練習なんて、自宅でやっているのを見たことないのに。



母親は音痴ではないがさほど音楽に興味なし、の家庭に、

なぜか手回しの蓄音機があって、それで聴いていた。

蓄音機といっても小型のポータブルのやつで、



このくらいの大きさだったような。


蓋の裏側にレコードが何枚か入るようになっていたような気もするが、

なにしろ加齢中な身では、ね。


ちなみに、



このような大型のものではけっしてない。(最後の扉の閉まり方、しびれる)



同時期に聴いたのが、



Elvis Presley - Heartbreak Hotel


なんといっても盛大に加齢中なので記憶が曖昧で申し訳ないのだが、

これも手回しの蓄音機で聴いたような気がする。


プレスリーの声、歌い方、ギターの音色、

すべて今でも色鮮やかに覚えている。

加齢中なのに。



家族が集う部屋は畳で掘り炬燵。

そこがぼくのオーディオルーム。

ひなたぼっこをしながら聴いた思い出もある。

日差しが眩しかった。

父方のおばあちゃんがいた。

おばあちゃんが炊く昆布のつくだ煮が大好物だった。



この2曲は、ほんとうによく聴いた。

というか、当時の我が家には、

ぼくが聴きたい音楽はこの2曲だけだった。



かもめの水兵さんとか七つの子とか背くらべとか、

童謡・民謡などもあったが歌い方のわざとらしさがまったく肌に合わず、

嫌悪感が先立った。

78回転のレコードは、よく割れた。



手回しの蓄音機はいつしか「電蓄」に代わり、

45回転SPレコードが家に入りだした。

手で曲げても割れないのはちょっとおもしろかった。

音は電蓄のほうがつまらなかった記憶がある。


しかし、なぜか小学校の低学年の時期の音楽の記憶はあまりないのは、

きっと模型・プラモデル作りが楽しくて仕方がなかったからだと思う。



ぼくの模型作りは幼稚園に入ってすぐの頃から始まっていた。

接着剤・ラッカー・シンナーの匂いは、

ぼくにとっては大好きな匂いだった。



小学校高学年あたりだろうか、

急に音楽を聴きだすようになる。

模型作りが「スロット・カー・レーシング」という遊びに移行し、



Campionati Italiani Slot Cars GT


そこでBGMでかかっていた音楽を聴き、影響されたのだと思うが、

きっかけが思い出せない。




The Platters " Only You "

なんて、きれいな曲なんだと聴き惚れたのを覚えている。

そして、こんなすばらしい曲を作り、歌い、演奏できる人たち、

そういう人たちを生み出す外国って、どんだけすごいんだと、

子どもながらに想像した。




Paul Anka " My Home Town "

彼も、抜群の歌唱力。

彼に限らず、この時代の歌手はみなすごい実力。

そして、曲の旋律がはっきりしていて、おおらかで、すぐに覚えられる。




Little Eva " Loco-motion "

これもなぜか思い出せないが、

我が家にはこのレコードがあった。

もちろん45回転SPだけど。



父も母も音楽に興味がなかったから、

せがんで買ってもらったのかもしれない。

あるいは従兄の長門裕之はレコード収集家だったから、

彼の家からもらってきたのかもしれない。

ということはプレスリーも彼経由かな。




The Ronettes " Be My Baby "

この曲をはじめて聴いた時は、ほんとうに打ちのめされた。

今でも大好きな一曲。


フィル・スペクターという人が作り出したといわれる

「ウォール・オブ・サウンド」によって、

最初の一音から独特の世界を持っている。


ちなみにこのロネッツのリードヴォーカルの女性ヴェロニカ・ベネットは、

フィル・スペクターと結婚(その後、離婚)。




Del Shannon " Runaway "

日本名は「悲しき街角」。

日本では飯田久彦さんがカバーしていた。

訳詞は漣健児、彼はシンコーミュージックを起こした草野昌一さん。

出張蕎麦打時代に、一度そばを召し上がっていただいたことがある。




Gene Pitney " Louisiana Mama "

これもいろいろな人がカバーしてたと思う。

弘田三枝子さんが有名かな。




Sylvie Vartan " La plus belle pour aller danser "

この曲も、始めの一発の音から釘付けになった。

歌もすばらしいし、フランス語は今でもぜんぜんだめだけど、

とにかく好きな曲だ。




サーキットの王道はやっぱり、



Ronny & The Daytonas " Little GTO "

小学生だったぼくはその後しばらくこの曲はビーチ・ボーイズだと思っていた。




The CASCADES " Rhythm Of the Rain "

これも、本当に好きな曲。

雨の日の学校の行き帰り、頭の中でよくこの曲が鳴ってたな。




Salvatore Adamo " Sans Toi M'amie "

女性歌手だと思って聴いていたら、

アダモという男性だと知って、世界にはいろいろあるんだと思った曲。

情緒溢れる、すばらしい曲。



この時代というのは、ほんとに多様性に富んでいる。

いろいろなジャンルの曲、いろいろな国のミュージシャン、

当然いろいろな国の言葉の歌詞、

それらが一気に小学生のぼくに押し寄せてきた。




The Ventures " Walk Don't Run '64 "

まさにこの東京公演を、ぼくは観に行っている。

渋谷公会堂だったような。

多くの小中学生はヴェンチャーズの「テッ、テケテケテケ」というギターの音にしびれたはず。

どこへ行ってもテケテケだったなぁ。

ぼくもこの時はじめてエレキギターというものを買ってもらった。



父はできるだけ子どもに贅沢はさせないと思っていたらしく、

いっしょに行ってくれたその楽器店でいちばん安いギターを選んだ。

6000円だったか、8000円だったか、

とにかくいちばん安かった。


それでもなんでも、生まれてはじめて手にしたエレキギターだ。

天にも昇る気持ちで自宅に戻りさっそく弾いてみるが、

まるでだめだ。


コード表を見て、手を弦に置いてみるが手が小さいのか、まったく届かない。

なんとかテケテケだけはできるのだが、それ以外はまったくできない。

指もすぐに痛くなりなにもできなくなる。



弦楽器といえばそれまで弾いたことがあるものといえば、ウクレレ。

せっかく拝み倒して買ってもらったギターだが、

まったく弾けないぼくは目の前が真っ暗に。



後日、親友もエレキギターを買ってもらったというので見せてもらったら、

え"?

なんとネックの細いこと。



なんだ、そういうことなのか。

安いギターはネックが太いのか。


ちょっとだけだけど弾かせてもらったら、

ぼくでも覚えたてのコードのいくつかが押さえられた。


ぼくが買ってもらったギターというのは、

ブームに便乗して作られたカッコばかりの粗悪品だったのだ。

ネックは極太でまるでかまぼこ、音は最悪、スイッチはガタガタ、

いくらなにをしても上手く弾けない代物だった。


父はさすがに悪戦苦闘しているぼくを見て、

もう少し高級なギターを買い直してくれた。


やっと安心してテケテケやっていたら、

竜巻というか、台風といおうか、

とてつもないものが、ぼくを襲った。




The Beatles " Please Please Me "


ぼくは、音楽漬けになった。




つづく



・・・のかな、そのうちにまた、


忘れなかったら書いてみようかな。



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