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小鳥の、歌。 [こころのなかの、こんくらい]


27年前、「蕎麦打」という本を書いた。


ハードカバーで6刷くらいまで行き、

その後、文庫で2万部くらい刷っていただいた

とてもうれしい本だった。


それは当時ぼくが大企業のデザイナーをやめ、

自然食・自然農法・自給自足を目指す中での

人々との出会い、

そして蕎麦打ちを学び、

「蕎麦打出張業」なるものを始め、

一応の成功を見るまでの軌跡を描いたものだ。



ま、それはそれなのだが、

その中でぼくは

とても不思議な体験をしたことを記した。



それは八ヶ岳の母の山小屋で

自然農法・自然食の実践をしている時に起きた。


野鳥がぼくの目の前に現れ、

突然、歌を歌ってくれたのだった。



それは「さえずり」などではもちろんなく、

うぐいすなどの「ホーホケキョ」でもなく、

まさに、歌そのものだった。



なぜ歌と認識したかというと、

それが「歌だったから」と答えるしかない。



それを、伝えたかった。

いつも、いつでも。



子リスたちには何度もこの話をしています。

でも、いくら伝えようとしても

言葉では無理だった。



野鳥が歌ってくれるまでの経緯は、

こういうことでした。


「蕎麦打」から一部抜粋します(1分ほどです)。



「小鳥の歌」

八ヶ岳に戻ってからは
すっかり気持ちの整理も出来、
福岡正信氏の本を片手に持ちながらの
自然農法実践にいそしんだ。

そんな中で
とてもすてきな出来事が起きた。

昼過ぎ、食事を終えて、
また下の有機農畑に戻ろうかなという時、
私はふと、なんとなく、
ニワトリ小屋の方へ歩いて行った。

柵のところでしゃがみ込み、
ニワトリが気まぐれに草をついばむのを
ながめていた。

ここのところずっと
畑の収穫に忙しかったので、
ニワトリのことは頭の中に全くなかった。
ただエサを機械的にやるだけの関係が続いていた。

だから多分、
「ニワトリ君、何してんの?」
と、
ごきげんでも取るつもりだったのだろうと思う。

しばらく所在なくニワトリを見ていると
私とニワトリの関係に割り込むようにして、
一羽の野鳥が舞い込んできた。
 
とてもとても小さな鳥だ。 

その小鳥は最初、
私のところから50cmくらい離れた金網にしがみつき、
顔を私に向け首を2、3回ハテナ、という感じに振る。

私は、これはいつもとどこか違う、と直感した。

ふと、もしかしたら
この小鳥はぼくが近づいても
逃げないんじゃないかと、思った。

そっと近づいてみると、
案の定まったく逃げようとしない。
それどころか、
私が近づくのを楽しみに待っていたという感じだ。

もう少し寄ってみた。
30cmくらいまで近づいただろうか、
小鳥と私も目線が合ってしまった。

鳥と目線が合うなんて、
生まれて初めての体験だ。
そして見合ったまま
二人とも(?)じっと動かない。
そのまま5、6秒の時が過ぎるのを
頭の中で数えていた。

5、6秒というのは、
人間同士でやってみても分かるが、
かなり長く感じるものだ。
そして気恥ずかしいくらいの時間だ。
それを小鳥と私でやっている。

小鳥の首が一回ゆれる。また見つめ合う。
さらに5、6秒、また見つめ合う。
一体この小鳥は何を考えているんだろう?
話してみようか?
テレパシー?でも試してみようか?
なんで逃げないんだろう?
君、ぼくに用でもあるの?

その瞬間、小鳥が歌い出した!

それは歌だった。

ウグイスとかのさえずりでは決してない。
間違いなく歌だった。
さもなければ妖精の声か?
この世のものとは思えない
「美しい響き」だった。

私は自分では音楽好きの人間だと思っているし
けっこういろいろなジャンルの音楽も聴いている。
私は子供のころから音楽をよく聞いて育ったし、
下手なりにも楽器も手にする。

自分で言うのも変だが
私は音楽はいつも心で聴いている。
テクニックがどうの、
といったことには興味がない。
だからジャンルを問わず、
その音楽から
何か心を揺さぶられるものがあれば、
私はなんでも受け入れた。

その小鳥の歌はまさにそれだった。 
小鳥はこの「妙なる調べ」をおよそ30秒、
いやそれ以上に聞かせてくれたのだった。
30秒という時間をイメージしてほしい。

そして彼女のパフォーマンスは終わる。
私はしばらくうっとりとその場に佇んでいた。

さらにしばらくの間、私の顔を見続け、
あたかも、
「どうだった?」
とでもいいたげな愛らしい瞳を輝かせている。

そして意を決したかのように、突然に
私から1メートルほど離れた唐松の枝に飛び移り、
一声「チッ」と鳴き、
一気に西の空へ飛び立っていった。

今のはなんだったのだろう?

幻想?

ただ私の心の中には永遠に残り続ける出来事だと思う。

それでよい。

抜粋終了


当時この「小鳥の歌」を聴いた時、

直感したのは世界的に有名なソプラノ歌手

「キャスリン・バトル」さんの歌だった。


彼女はソプラノだけど野鳥は

さらに1オクターブか2オクターブ高く、

でも、テンポはあくまで人間のテンポの範囲。


声帯に違いがあるだけで、

この目の前の小さな小さな野鳥は、

間違いなくぼくにたいして

人間の歌を歌ってくれている。


歌には、感情の流れがある。

それを野鳥は的確に表現している。

ブレスの続く限りのエンディングは、どうだ。


野鳥の歌が終わって、

ぼくは心の中で盛大な拍手を送ったのでした。
(実際に拍手すると逃げちゃうから)



本に記した通り

この27年間というもの、

ぼくの心から一度たりとも

この出来事が消えることはなかった。



自分でも信じられないような出来事、

でもいつかこの「小鳥の歌」を

子どもたちそして

友人知人に聞いてもらいたいと思って、

今まで生きてきた気がします。



伝えたい。

どうやったら「再現」できるのか、

あれこれ考え続けてきた。



音楽家、音響技術者の方々にも尋ねたが、

当時はデジタル技術などまだない時代だったから

そうとうに困難な印象で、

一時は諦めかけた。



最近ではデジタル技術が進んでいるのだから

あっという間にできるんじゃないかと思ったけど、

意外とそうでもないようで、

いまだに壁は厚く、そして高かった。



つい先日のこと、

夢から覚めると急になにか閃き、

数日間録音機材を探し続け、

思いついたやり方で彼女の曲を何曲か録音し、

加工してみた。



近い。


でも、音源には伴奏が入っている。

小鳥はアカペラで歌ってくれたのだった。



キャスリン・バトルさん・・・なぁ、

まさかアカペラで歌ってる曲なんて・・・、

と、ネットを検索していたら、

なんと、あった。

まさに、という歌が。



しかも、題名が、

"Over my head, I hear music in the air"



それまで絡みまくっていた糸が

スルスルと解れるように

一気に解決してゆく。



そしてやっと今日、

近いことができた気がするので、

初めて公開してみます。



ノイズは、あります。

アナログ的なので。


でも、ぼくが体験したことは

こういうことでした。



"小鳥の歌" (Humming Bird)




ぼくは、夢ではなく、

現実に、野鳥の歌を聴きました。

これは、ほんとうに起きた出来事なのです。



30ん年経て、やっと再現できました。



うれしい。





Kathleen Battle - Over My Head I Hear Music in the Air


Over my head, I hear music in the air

There must be a God somewhere.


"空の彼方から、音楽が聞こえてきます

どこかにかならず、きっと 神さまはいます”



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